東京地方裁判所 昭和49年(ワ)70506号 判決 1979年6月27日
原告 渡辺一成
右訴訟代理人弁護士 圓谷孝男
被告 株式会社新菱製作所
右代表者代表取締役 加賀美勝
右訴訟代理人弁護士 宇田川好敏
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求める裁判
一 原告は、「被告は原告に対し、三七五万五〇〇〇円及びこれに対する昭和四七年六月一九日以降完済まで年六分の割合による金員の支払をせよ。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言を求めた。
二 被告は、主文一、二項と同旨の判決を求めた。
第二当事者の主張
一 請求の原因
1 原告は、別紙手形目録のような手形要件が記載され、形式的裏書の連続のある約束手形一通(以下「本件手形」という。)を所持している。
2 (表見代理)
(一) 訴外浅井寛は、昭和四六年一一月五日まで被告に雇用され、経理部長として経理事務を担当し、経理事務に関し広汎な範囲で被告を代理する権限を与えられ、特に手形・小切手の振出に関しては、被告の「東京都港区西新橋二丁目三七番六号」及び「株式会社新菱製作所取締役社長加賀美勝」と刻したゴム印と「株式会社新菱製作所取締役社長」と刻した印章及び小切手用紙、約束手形用紙を保管し、取引先関係(工場払及び本社払)については、支払先の一覧表を作成し、上司である長道常務取締役の決裁を得たのち、右一覧表にしたがって、保管中の右各印ならびに手形及び小切手用紙を使用し、約束手形及び小切手を振り出す権限を与えられ、銀行からの借入れのために振出す約束手形についても、新規の借入れについては、前同様、長道常務取締役の決裁をえたのち、保管中の右各印及び手形用紙を使用して約束手形を振り出す権限を与えられ、また、小切手については、毎日現金を手許に置かなければならない関係上、浅井の裁量で、保管中の右各印及び小切手用紙を使用して小切手を振り出し、かつ、被告の裏判を押して、現金を取引銀行から引き出していたものである。
(二) 浅井寛は、被告を退職後に、被告から与えられていた権限を越え、被告の代表取締役名義を使用して本件手形を振り出したものであるが、原告は、浅井寛が被告の経理部長をしていることを知っており、かつ、同人が被告の手形、小切手を振り出す権限(―浅井が上司の決裁をえていたか否かは別として―)があることも知っていたものであるから、本件手形の振出について同人が上司の決裁をえていなかったとしても、原告は、浅井の代理権消滅について善意無過失であり、かつ、浅井が被告の代理人として本件手形を振り出す権限があると信ずるにつき正当の理由があるから、民法一一〇条、一一二条の重複適用により、被告は振出人としての責任を負うべきである。
3 本件手形は、満期の日に支払場所に支払のため呈示されたが、支払を拒絶された。
4 そこで、原告は被告に対し、本件手形の手形金三七五万五〇〇〇円とこれに対する満期以降完済まで手形法所定の年六分の割合による利息の支払を求める。
二 請求原因に対する被告の認否と主張
1 請求原因1及び3の各事実はいずれも知らない。
2 同2(一)のうち、被告が浅井寛に対し原告主張のような代理権を授与した事実及び浅井寛が自由裁量で手形・小切手の振出権限を有していた事実はいずれも否認する、その余の事実は認める。
同2(二)のうち、浅井寛が被告代表取締役名義を使用して本件手形を振り出した事実は認めるが、その余の事実は否認する。
3(一) 本件手形は、被告会社においてもと経理部長をしていた訴外浅井寛によって偽造されたものであり、偽造手形については民法一一〇条又は一一二条による表見代理法理の適用がない。
(二) 仮にそうでないとしても、民法一一〇条又は一一二条の適用があるためには、法律行為をする代理権が与えられている場合すなわち基本代理権の存在することが必要であり、他人のため事実行為をする権限を与えられているにすぎない場合には基本代理権ありということはできない。
仮に、かつては何らかの基本代理権があったとしても、その代理権が消滅して不存在になったことにつき、原告が善意・無過失であったということはできない。
第三証拠関係《省略》
理由
一 《証拠省略》を総合すると、原告が、別紙手形目録のような手形要件が記載され、形式的裏書の連続のある本件手形を所持していること、本件手形が満期の日に支払場所に支払のため呈示されたが、その支払を拒絶され、原告が現にこれを所持していること、以上の事実を認めることができ、この認定に反する証拠はない。
二 被告は、本件手形について、その振出を争い、訴外浅井寛らの偽造にかかるものであると主張するので、まずこの点について検討する。
訴外浅井寛(以下「浅井」という。)が、昭和四六年一一月五日まで被告会社に雇用され、経理部長として経理事務を担当していたこと、手形・小切手の振出に関しては、被告会社の「東京都港区西新橋二丁目三七番六号」及び「株式会社新菱製作所取締役社長加賀美勝」と刻したゴム印と「株式会社新菱製作所取締役社長」と刻した印章及び小切手用紙、約束手形用紙を保管し、取引先支払関係(工場払及び本社払)については一覧表を作成し、上司である長道常務取締役の決裁を得たのち、保管中の右各印ならびに手形及び小切手用紙を使用し、約束手形及び小切手を振り出す権限を有していたこと、銀行からの借入れのために振出す約束手形については、新規借入れのものについては長道常務取締役の決裁を得たのち、保管中の各印及び手形用紙を使用して約束手形を振り出していたこと、小切手については、毎日現金を手許に置かなければならない関係上、保管中の右各印及び小切手用紙を使用して小切手を振り出し、かつ、被告会社の裏判を押して、現金を取引関係から引き出していたこと、以上の事実は当事者間に争いがなく、右事実に、《証拠省略》を総合して考えると、次の事実を認めることができる。すなわち、
1 被告会社で約束手形を振り出すのは、通例月二回の定例払いの際の商業手形としての場合と、不定期的に金融機関から手形貸付を受ける際に担保として差し入れる場合とがあるが、いずれの場合も経理部長であった浅井が被告会社代表者名義の約束手形の作成について自己の裁量を容れる余地は全くなく、同人は、被告会社経理担当常務取締役長道忠利の指示に従い、前記のごとく手形用紙の保管、被告会社所在地の記入用のゴム印、被告会社名の記入用のゴム印、被告会社代表者印などを保管し、取引先への定時払い(工場払い及び本社払い)については、毎月の資金計画に基づいて支払先ごとに支払金額、支払期日、支払銀行の明細を記載した定時払い明細表を作成し、長道常務取締役の決裁を受けたのち、右明細表に従い、部下である経理課員に手形要件を記入させ、最後に長道常務取締役が押捺すべき被告会社代表者印を同人に代わって押捺していた。また、新たに銀行から手形貸付を受けるための担保として差し入れる約束手形及びその書替手形については、右と同様に、長道常務取締役の個別的な指示に従い、浅井において前記約束手形用紙と各印を使用し、約束手形ないし書替手形を作成して金融機関に持参していた。更に、被告会社の小切手の振出については、毎日現金を手許に用意して置かなければならない関係上、右と同様に、長道常務取締役の指示に従い、浅井が前記小切手用紙及び各印を使用して小切手を作成し、かつ、被告会社の裏判を押して、現金を取引銀行から引き出していた。
2 ところが、浅井は、金融業を営んでいた訴外小川圀彦(以下「小川」という。)の依頼を受け、同人の資金ぐりの手段とするため、昭和四五年九月ころから、被告会社内において、たびたび、自己が保管を命じられていた前記約束手形用紙(支払地東京都品川区、支払場所商工組合中央金庫大森支店と不動文字で印刷されたもの。)の振出地欄に前記被告会社所在地の記入用のゴム印、振出人欄に前記被告会社名の記入用のゴム印を使用して記入し、前記被告会社代表者印を冒捺して、ほしいままに被告会社振出名義の約束手形を作成し、これを融通手形として小川に交付し、同人において、他の手形要件を記入し、これを他からの借受金の担保として差し入れ、同人からの謝礼金を得ていた。
3 右のように小川が資金ぐりのため利用していた被告会社振出名義の約束手形につき、初めのうちはその手形の支払期日の到来する前に手形を買戻すなどして、被告会社には知られないようにしていたものの、やがてその買戻ができずに手形が銀行に廻ったりしたため、被告会社に知られてしまい、浅井は昭和四六年一一月六日付で被告会社を懲戒解雇されるに至った。しかし、浅井は、右解雇される前に、前記のように、被告会社の所在地や会社名、代表者の氏名をゴム印で記入し、代表者印を押捺した約束手形二〇枚ぐらいほしいままに作成し、自宅に所持保管していたところ、解雇後である昭和四七年四月一六日ころ、右手形のうち一通(甲第一号証の本件手形)を原告方に持ち込み、後記のように右手形を担保に金員の借用方を申し入れた。
4 一方、原告は、金融業を営むものであるが、かねてより浅井が被告会社に経理部長として勤務していたことは知っていたが、前記のごとく解雇されたことは知らなかったものであるところ、前同日、浅井から、本件手形(ただし、当時、支払地、支払場所、振出地の記載、振出人の記名押印のみがあり、額面金額、支払期日、振出日、受取人欄の記載が白地のもの。)を担保に差し入れるから、四五〇万円を貸与されたい旨の申込を受けた。その際、原告がその使途を尋ねたところ、浅井から、「被告会社の内部事情で会社の資金繰りに使うものではあるが、内密の金であるため被告会社の帳簿に載せることができない。したがって、会社に電話を掛けてもらっては困る。こういう問題は自分だけでやっているのであるから、会社に催促に来たり、連絡してもらっては困る。浅井個人として借用したい。」等の説明を受けた。しかし、それにもかかわらず、原告は、浅井の申込を承諾し、浅井個人に金四五〇万円を弁済期同年五月二〇日、利息日歩二〇銭と定めて貸与することに、同年四月一七日に内金二〇〇万円を浅井に交付したが、その際、本件手形の第一裏書人欄に浅井に署名押印させ、更に、同月二五日に利息、手数料を天引した残金二二三万円を浅井に交付した。そのご浅井は、借受金のうち一〇〇万円だけを返済したが、約束の期日になっても残余の金員の弁済をしなかったところ、同年五月二二日、原告と浅井との間において、同人が借受残金三五〇万円とこれに対する同日以降同年六月一九日までの利息を加算した合計三七五万五〇〇〇円を同日限り支払うことの約束がなされたが、その際、浅井から貸金の担保として原告に差入れられていた本件手形の額面金額に浅井がチェックライターを用いて三七五万五〇〇〇円と記入し、原告が受取人欄に浅井寛、振出日欄に昭和四七年四月二〇日、支払期日欄に昭和四七年六月一九日と記入した。
以上の事実を認めることができ(る。)《証拠判断省略》
右認定した事実によると、被告会社における同会社代表者名義の約束手形ないしは小切手の振出権限を有するのは経理担当常務取締役の長道忠利であって、浅井は右長道常務取締役の決裁、承認のあった場合にかぎって手形ないしは小切手の作成、振出に関与していたものであること、本件手形は、浅井が、右経理担当常務取締役の決裁、承認を受けることなく、その振出人欄に勝手に前記各印を押捺して作成されたものであることが認められるから、本件手形の振出人としての被告会社名義部分は浅井によって偽造されたものといわなければならない。
三 そこで進んで、原告の民法一一〇条、一一二条の重複適用の主張について検討する。
前記認定した事実によると、浅井は、被告会社経理担当常務取締役長道忠利の指示に従い、約束手形用紙、被告会社代表者印などを保管し、同取締役の決裁、承認を得た場合に、右手形用紙や代表者印を使用し被告会社名義の約束手形を作成、振出す権限を与えられていたものと認められ、本件手形については、右決裁、承認がなかったものであるから、かかる場合、浅井のした本件手形の作成、振出行為を目して民法一一〇条、一一二条の重複適用があるか否かは、両条所定の正当事由の有無にかかっているものといわなければならない。
ところで、前記認定した事実によると、本件手形を担保に融資を受ける主体は、被告会社ではなく浅井個人であるというのであるから、かかる従業員個人の債務の担保として被告のような著名な会社が手形を振出し提供するというようなことは通常考えられないところであり、また、借入申込の際に浅井が原告に対してした説明や、本件手形の金額欄等主要な部分が白地であった等の疑問の余地があるのであるから、金融業者である原告としては、浅井に本件手形の振出権限があるかどうか等について振出名義人である被告会社につき調査確認すべきであった。
しかし、原告が本件手形を取得するにあたって、このような措置をとったと認めるに足りる証拠はなく、また、弁論の全趣旨によれば、右の確認措置は一挙手一投足の労で十分できたものと認められるから、原告において、浅井が被告会社名義の本件手形を振り出す権限を有していたと信じたとしても、かく信ずるにつき原告に過失があったと認めるのが相当である。したがって、原告のこの点に関する主張は採用することができない。
四 以上の次第であって、原告の被告に対する本件約束手形金請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 井田友吉)
<以下省略>